2018年2月1日 元プロバスケットボールコーチの次なる夢は「インカレ日本一」

バスケットボール部(男子)
比嘉 靖  講師

バスケットボール部(男子)
比嘉 靖  講師

日本リーグの松下電器「パナソニックスーパーカンガールズ」でプレーをしていた比嘉靖先生。前十字靱帯のケガにより現役選手生活は5年間でしたが、その間、チームの日本一という夢も叶えました。その後も松下電器に残り、NBAから来たヘッドコーチのアシスタントコーチも抜擢され、常にバスケットボールの最前線に携わってきました。そして2016年、日本では国内初のプロバスケットボール「Bリーグ」が発足。比嘉先生の夢の続きは、学生アスリートへと引き継がれています。

創部初の準優勝に導いた、比嘉先生のコーチング法

その日も比嘉先生は体育館にいました。年の瀬も押し迫った冬の寒い日。冷え切った体育館は、男子バスケボール部の選手達の威勢のいい声と、床に叩きつけるボールの音が響きます。

先生は練習時間に遅れることなく、また選手達にも時間に関しては必ず厳しく指導します。それは、1日の練習メニューがきっちり決められているからです。

「自分が子どもの頃に部活動をやっていた時は『何時までこの練習をするのだろう』とか『今日の練習は何時までやるのだろう』と思うことがよくありました。厳しい練習をしている中、その日の練習で体力のペース配分をしてしまうということもあります。それではいい練習とはいえません。しかしそれは後から気づいたこと。現在のように『この練習は何分間行う』『今日の練習は何時から何時まで』と伝えるようになったのは、松下電器でアシスタントコーチをした影響が大きかったですね。

正直に言いまして、これまで自分がやってきた練習では経験したことのないものに出会い自分自身物凄い衝撃を受けました。緻密に計算された分刻みのトレーニングメニューが構築されていますし、そのトレーニングメニューに関しても選手達は「何を強化するために今日のトレーニングがある」といった効果まで理解していたことです。日本の部活動にはないやり方がそこにはありました」

2012年より本学のバスケットボール部男子を指導し、わずか6年で初の全関西準優勝にまで導いた比嘉先生。プロの世界を見てきた比嘉先生は現在研究者となり、実体験を伴ってバスケットボールを科学しています。

大体大出身のOBでもある、比嘉先生の経歴とは

「私の出身は沖縄県で、兄と姉の影響から小学校4年でバスケをはじめました。当時の指導者は県内で評判の方であったということもあり、チームは県代表として全国3位の成績までいきました。当然、子どもながらに『いつかは日本一』という目標を掲げるようになりますが、残念ながら中学校でその夢は叶いませんでした。その夢を高校に託して、バスケの強豪校に進学したのですが、こちらも3年間の中で到達することはできませんでした。

大学進学は、両親ともに教員だった影響もあり、体育の教員になるべく大阪体育大学へ入学しました。卒業後は現役ではなく、今度は指導者として日本一になろうと思い直し、夢を一旦保留にして勉強とクラブ活動に励みました。

そう思った矢先の大学3年生になった時、松下電器から声がかかってきたのです。『卒業後はうちでプレーをしてみませんか?』と。もうすでに教員の道を志していただけに悩みましたが、とはいえ実業団でプレーができるチャンスは、若さという後戻りできないこの時期だけだという思いから、急遽進路を現役に切り替えました。

日本一の夢は、実は入社1年目にして天皇杯に進出し目標も達成することができました。チームの勝利にも貢献できた喜びと同時に『頂点に立つ』という初めて見る景色を経験したことは、現在の自分のコーチング哲学に大きく作用していると思います」

比嘉先生は、バスケをするには決して恵まれた身長というわけではありませんでしたが、誰よりも動き、誰よりも頭を使ってプレーをしてきたことが、後々の進路に影響を与えます。

選手として絶好調だったある日、前十時靱帯を損傷するケガに見舞われ出場チャンスを逸してしまった比嘉先生。何とか回復を祈って努力を続けていた時、異例の大抜擢の話が舞い込んできます。

「松下電器がNBAのロサンゼルス・レイカーズからヘッドコーチを招聘することになったのです。その際、2人のアシスタントコーチをつけてほしいという要望に対し、その内の1人として私が選ばれました。結局5年間の選手生活にピリオドを打ち指導者としての新たな生活が始まりました。

その後、志半ばで道を変更してしまった体育の教員になるべく、大阪体育大学大学院 スポーツ科学研究科に入学。ゲーム分析を研究した、2012年から母校である本学で男子バスケットボールの指導にあたっています。『日本一』という頂点からの風景は、これまでに味わったことのない格別なもの。自身の現役生活の中で悲願だった日本一は獲得しましたが、一度目標に掲げた『指導者として日本一』という目標に向けて、選手達と共に日々励んでいます」

ゲームメイキングの前に大事な
「キャスティング」で試合を演出

バスケットボールはチームスポーツ。当然のことですがチームワークが勝利への鍵を握ります。ではチームワークとは何でしょう。たくさんの要素が相まってチームワークを形成することはもちろんですが、比嘉先生が最も大切にしているのは「自主性」と「キャスティング」だといいます。

「自主性に関しては、冒頭にも触れたように『なぜこのトレーニングをしているのか』『このトレーニングはどんな効果を期待するものなのか』『自分には何が足りないのか』といった、考える能力も含まれます。

私は、2017年に開催された “学生のためのオリンピック”と評されるユニバーシアードのアシスタントコーチに、プロ経験も評価され任命されました。8月の大会に備え、2月中旬から合宿をはじめ、準備や練習に時間をとられていきます。やむを得ず部活動の練習は留守がちになりますが、これはいい機会だとも思いました。

今、この体育館で選手達が行っているような練習ですが、私が、不在がちになる昨年2月頃から学生主体での実施に変更しました。効果はあったと思います。『やらされている』ではなく『やらなければ、やりたい』という前のめりの姿勢を感じることができます。監督がいないなら自分たちでやらなければマズイ。この“自分事”に捉えられたことこそが自主性であり、創部初の準優勝へとつながったのかもしれないと考えます。

また、私が最も大切にしているのは“キャスティング”。

表現は不適当かもしれませんが、チームとは個々の力の相乗効果で強固になっていきます。チームが強くなるために、私はチーム内にスーパースターはいらないと思っています。あのスーパースターであるマイケル・ジョーダンがチームに4人いても違う。華やかなダンクシュートをしたくても、それを抑え、チームのためになるプレーができる選手が必要なんです。かといってみんな大人しくてもだめ。「チームプレイ」というひとつの答えを導き出すために、足し算引き算、かけ算わり算、いろんな方法でメンバーを算出していきます。逆に学生アスリート達は、試合に出られる5人の枠を、自分で取りに行く強さと賢さを持って欲しいと思っています。自分はどの“役”を演じればいいのか。自分自身がその目を持つことも大事です」

比嘉先生が思うキャスティングとは、たとえばひとつの演劇集団と考えた時、一人として同じ個性、同じ役の人物は要らないということに等しいということです。それが、プロ選手として、また大学でバスケットボールのコーチングを追究する者として出した答えでもあるのです。

大体大初のBリーグ選手を輩出。
そしてめざすはチーム「日本一」

内藤健太選手は、3年生という在学中でありながら、Bリーグ「西宮ストークス」の特別指定選手としてメンバーとなりました。持ち味はジャンプシュート。大体大で鍛えた“泥臭い”プレーを武器に現在活躍しています。

「彼はもともとプロ志望ではなかったですし、おとなしい子でしたので、プロから声がかかったことに本当にうれしく思いました。もしかしたら私以上に、彼の同期や先輩、後輩といった仲間達の方が喜んでいるかもしれませんね。

私自身、大学卒業後に日本リーグとしてプレーをした経験があり、そして日本一という誰もが経験できるものではない景色も味わうことができました。だからこそ、運と実力のある選手にはどんどん挑戦してほしいと思っています。

その反面、プロとして奢ることなく、大体大が最も大事にし教えてきた「人間力」を忘れずにいてほしいと思います。私と過ごした4年という時間も含め『大体大で過ごしてきた日々が本当に有意義だった』と思える時間にしてあげたいとも思っています。

また、内藤選手のようにプロの道へ進んでくれることは非常に喜ばしいことではありますが、個人のキャリアだけに捕らわれず、やはり学生日本一を掲げ必ずや達成したいです。達成します。それが、こうして厳しい寒さの中練習に耐える学生アスリートに対する私なりの回答ですし、なにより私自身の夢の続きでもありますから」

「今日は負けへん、俺がいる」──比嘉先生は試合中、そんな力強い言葉で選手達をコートの中へと送り出すこともあるといいます。それはただの気合いだけではありません。その日の練習メニュー、そしてその先の年間スケジュールを緻密に計算しているからこそ、その勝算を確信しているからです。指導者としてしっかり化学分析を行い、自身のプロ経験から出した感覚値。その両輪が相まり、準優勝からひとつ上の「優勝」という2文字を手にする日は近いはずです。

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