2018年1月26日 いつかは大体大で国際大会を開催したい。
テニスに賭ける熱い想いとは

テニス部(男子)
宮地 弘太郎  教授

テニス部(男子)
宮地 弘太郎  教授

物心ついた時からテニスラケットを握り、現在に至るまでずっとテニスと共に人生を歩んできた宮地弘太郎先生。プロテニスプレーヤーとして活躍していた現役時代、そして研究者であり監督になった現在でも、テニスへの熱い想いを傾けています。しかしそれは「熱血指導」とは相反する「冷静」な指導。体大という研究機関であり科学者だからこそわかる、頭脳に訴えかける指導方法が学生アスリートを年々強く押し上げているのです。

「宮地先生の指導が受けたくて」。
強くなりたいと願う学生の想い

自身がその競技でより高みを目指したいと考えた時、当然強豪校に入ることを選択肢にいれます。しかし、その学校が強いことは間違いありませんが、そこで指揮する監督やコーチング法が、必ずしも自分自身に合っているとは限りません。大切なのは「誰に」指導を受けるか、でもあるはずです。

現在大体大のテニス部には「宮地先生の指導を受けたい」と志願した選手が数名います。それは先生がテニスの名門高校・柳川高校の出身でありプロテニスプレーヤーとして活躍、また現在は科学者としてテニスを探究している「実績」に全幅の信頼を寄せたのだと考えられます。

「私は、テニスをしていた両親の影響で小学校1年生からラケットを握りコートに立ちました。地元である広島県福山市の中学に進学し、父と二人三脚での練習です。2年になった時、テニスでのプロを視野に、単身、福岡県の柳川市にある「市立柳城中学校」に転校します。柳城中学校は、スポーツで世の中に名を馳せている「柳川高校」の隣に立地し、しかもテニス部は中高連携しているという優位な特徴があります。私は中学2年で単身福岡へ行き、全寮制で入寮。そのまま柳川高校へと進学し、卒業するまでの4年半テニス一色の生活を送りました。

全日本ジュニアU16では準優勝、U18ではベスト4という成績で、高校ではインハイでシングルベスト8。高校までは振るわぬ成績に終わりましたが、亜細亜大学に進学してからは、インカレで2年と4年に優勝。3年では惜しくも準優勝となり3連覇は果たせませんでしたが、それでも今まで培った力を発揮できたと思います。

また、当時松岡修造さんも出場した楽天ジャパンオープンに私は大学4年で出場。ベスト16に入ることができました。その後プロの道に進み、29歳で現役を引退するまでの間、ジュニアの全米オープンジュニア、シニアの全豪オープン予選出場選など世界各国を歴戦。ちなみにシニアの全豪オープンでは、3回のうち1回は予選の決勝へと進むことができました。

引退後は指導者の道を目指し、日本体育大学大学院(博士前期課程)へ進学し、トレーニング科学を専攻しました。修士論文では、動作分析からスピンサーブの安定性に関する関連因子を明らかにし、指導現場への知見を得ました。また、現在の研究の主たるテーマは、ネット・ラケット型の球技パフォーマンス(テニスのゲーム分析)から、オンコートへのフィードバックの手法やその効果についての検討です。これまでプレーヤーとして培ってきた経験値を活かし、またプレーヤー中には言語化できなかった問題点を立証していく作業は、現在の指導に大いに役立っていると思います。」

宮地先生を慕い入部してくる学生達は、その総合的な視点での指導を期待していることでしょう。

大体大DASHができたことで、より強化されることに期待

宮地先生は大体大に着任する以前、関西国際大学で教員として、教育、研究、課外活動を8年間行いました。創部からのスタートであり、選手を集めることからはじめるというスタート。苦労の連続ではありましたが、5年後にはダブルスでインカレ出場にまで導いています。

「関西国際大学である程度の成果を果たしたと思いますので、やはりスポーツ専門の大学で研究をしながら指導がしたいと大体大を志願しました。2014年より本学で指導させてもらっていますが、着任当初、大体大テニス部は低迷期にさしかかっていました。それ以前の大体大は非常に強かったのですが、その選手達も卒業し、部はモチベーションも下がっているという状態でした。そこへ突然やってきた新しい監督の登場ですから、私のやり方についていけないという学生もいました。ぶつかったこともありますし、学生達もイライラしたこともあるでしょう。でも、結局は『自分』で考えること、メンタルを鍛えることしか強くなる道はないのです。それをわかってもらうためには時間がかかりました。いや、いま現在でもその指導の途中でしょうね。

その“わかってもらう”こととは、私の技術やトレーニング法に従わせることではなく、一人ひとりが自分のこととしてテニスと向き合い、自分自身でやり方や正解を導き出す「力」のことです。なので私は、コートでの練習中、ほとんど口うるさいアドバイスをしません。突き詰めるところ、テニスとはメンタルが物を言う競技なのです。試合は長いもので3時間、4時間と及ぶこともありますが、その間、監督がプレーヤーに指示を出すことはほとんどありません。チェンジコートの時にはもちろんアドバイスができますが、結局コートに立っている選手こそが、自分自身の監督にならなければならないのです。しかもその長時間の気分の調整、またトーナメントになれば一週間続きますので、日々の気持ちのアップダウンもコントロールしなければなりません。同じくらいの実力であった場合、そのメンタル面での強さ勝負ということは大きく影響しますし、強い選手はやはり気分の変動が少ないといえます。

以前、オンコートでこんな事例がありました。試合中に捻挫をし、その理由を尋ねたところ、(なぜ捻挫をしたのかわからない)と答えました。私にとっては捻挫、怪我はつきもので、なぜ、怪我をするのか、身体の部分のどこを強化すれば、しにくくなるのかを学習し、実践してほしいと思っています。将来、教員となり、母校に帰りクラブを指導する立場になる学生が大半であり、この体育大学の研究、教育(授業、座学、実習)を生かし羽ばたいてもらいたいと感じています。」

現在のテニス界のリクルーティングでは、インハイで全国レベルという強いプレーヤー達は、関東の強豪校へ流れてしまっているという現状があります。しかし、宮地先生が4年前より大体大テニス部で指導をするようになり、それを聞きつけて入部してくる学生達がいるという中、大体大DASHが創設されたことでさらに底上げにつながるのではと先生は期待します。

近い将来、大体大で国際大会を。
その働きかけはすでに始まっている

テニスの大会の最高峰といえばグランドスラムですが、その下部大会「フューチャーズ」は現在、早稲田・慶応・山梨学院・亜細亜・筑波の5大学が会場となり開催されています。この大会は、大学と地域の活性化を目的とした国際プロテニス大会で、大学のテニスコートを会場とし学生による運営が実施されています。現在、大体大DASHでも、本学への開催、誘致にむけて向けて検討を行っている最中でもあります。

「我が大学は関西国際空港にも近く、国内はもちろんアジア諸国からも集まりやすいという恵まれた立地にあります。そこも利点のひとつですし、現在関東でしか行われていないこの大会を、関西として本学に呼び込めたら非常に大きな効果を生むと考えています。

プロプレーヤー達の技術力をライブで観るということは、本学の学生はもちろん、関西でテニスを頑張っている子ども達にとっても競技力が変わることでしょう。

何より、地域の方の協力なくして大会を成功させることはできませんので、大学と地域が一丸となること、さらには地域の活性化につながっていくなどさまざまなメリットをもたらしてくれます。

また、大会を実施するにはスポンサー集めも重要になってきます。これを学生達自らがやる。ここにも大きな意味があります。ひとつの大会がどのように成り立っているのか、またお金をいただくとはどういうことなのかといった部分もとても勉強になると思います。

本学の岩上学長は国立スポーツ科学センターやナショナルトレーニングセンターのセンター長を務めた方であり、その後大体大DASHができ、そして今春にはスポーツ局も開設されます。スポーツ大学としてますます選手の強化に取り組んでいますし、本学では女子ハンドボール部はインカレ5連覇と王者の座を何年も保持しています。テニス部も選手一人ひとりの強化に加え、国際大会の誘致など、たくさんの可能性を秘めていますので、しっかりと目標を見据え強化していきます」

先生の夢は尽きない。最終的には卒業後、オリンピックやグランドスラムの戦いの場に立てる(そこに携われる)人材の輩出だといいます。本学のテニス部の監督となり5年目となる今年、必ずや結果として花開くはずです。

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